食欲の適正化
疲れるために運動しているわけではなく『パワーをもらうため』に運動しているわけです。
終わった後に『もう動きたくない』と思うようなら、僕の中の運動の定義からは外れます。
それは運動ではなく<強制労働>です。
動かないほうが健康でいられるとすら思います。
運動というのは、例えば『正しい食欲』が身につくようなものです。
人間というのは本来動くようにできているはずですから、それに見合った食事の量というのが、ある程度自動的に決まるはずなんです。
ところが、余計なことに神経を使ったり、大して身体を動かさない現代では、もちろんお腹は空くけれど『食欲の質』というものが下がると思うんです。
食欲の質が落ちれば、何をどのくらい食べれば良いのかが分からなくなってしまう。
食欲のセンサーが正しく作動しないと思うのです。
そこで運動をすることで『食欲の質』が元に戻り、失われていた『正しい食欲』も再び見についてくると思うのです。これを『食欲の適正化(仮)』とでも呼んでおきましょう。
もう一度。
疲れるために運動をしているわけではないということ。それは運動ではなく強制労働です。
運動というのは『あー、お腹すいた!』『美味しい!』『ごはんってこんなに美味しかったんだ!』という我々が忘れていた大切なことを思い出させてくれるものなのです。